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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)302号 判決 1978年9月28日

控訴人 安居佳名子 外一名

被控訴人 眞木恒明 外三名

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

原判決当事者の表示中「被告眞木恒明」とあるのを「被告眞木恒明〔ツネアキ〕」と更正する。

事実

控訴人ら代理人は、「原判決を取消す。東京台東区役所が昭和四五年四月七日受付けた亡眞木延幸及び亡眞木おてうと被控訴人眞木恒明〔ツネアキ〕及び被控訴人眞木芳子との間並びに被控訴人眞木茂行及び被控訴人眞木節子との間の各養子縁組はいずれも無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠の関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決三枚目表三行目の冒頭に「恒明」とあるのを「恒明〔ツネアキ〕」と訂正し、四枚目裏七行目の「同」の次に「第八号証の一ないし三、」を加え、五枚目表七行目の「甲」の次に「第八号証の一ないし三は真正に成立したものであり、同」を加える。)。

一  控訴人ら代理人の主張

(一)  亡眞木おてう(以下「亡おてう」という。)には、破控訴人らとの間に養子縁組をする意思がなかつたから、亡眞木延幸(以下「亡延幸」という。)及び亡おてうと被控訴人らとの間の二つの養子縁組(以下これを合わせて「本件養子縁組」という。)は、いずれも無効である。

すなわち、亡おてうは、昭和四五年一月七日胃潰瘍のため順天堂大学病院に入院し、同年四月三日ころも絶対安静の状態で、亡延幸の危篤を知らされても見舞いに行けないほど衰弱していたうえ、自分と亡延幸の病状に対する心労のほか、亡延幸の愛人訴外安居文子(以下「文子」という。)とその実子の控訴人らの存在を知らされて、精神的にも苦境に陥り、錯乱状態にあつた。このような状態にあつた亡おてうに対し、亡延幸の兄で、被控訴人眞木恒明〔ツネアキ〕(以下「恒明」という。)及び同眞木茂行(以下「茂行」という。)の父である訴外眞木高重(以下「高重」という。)は、亡延幸の財産を目当てに自分の子らをその養子にさせようと企て、積極的に「控訴人らのみに相続されたら大変だ。一人で相続したら莫大な税金を払わねばならない。相続人が一人でも多ければ、それだけ助かる。そのためには被控訴人恒明らを養子にするのがよい。」などとそそのかし、亡おてうは、何も分からないまま、高重らの言うとおりに振舞つたにすぎない。

したがつて、亡おてうは、親子関係を成立させることの是非を判断する能力を欠いていたものであつて、同人には縁組の意思がなかつたのであり、仮にその意思があつたとしても、亡おてうは、亡延幸の多大な財産が控訴人らに相続されることになるのを妨害するため、被控訴人らと通謀して同人らとの間の養子縁組を仮装したものであるにすぎない。

(二)  本件養子縁組の届出は、昭和四五年四月四日付の郵便によつてなされたのであるが、その届出は、次のような理由から無効である。

すなわち、(1) 、その郵便の差出人は亡延幸であるが、同人は約一週間前から意識不明であつたから、その郵便を発送することができなかつた。(2) 、夫婦の一方がその意思を表示することができないときは、他の一方が双方の名義で縁組をすることができるから、仮に亡おてうが双方名義で縁組をすることができる場合に当たるとすれば、右の郵便の差出人は亡おてうであるべきであつたといえるところ、その郵便は、高重が亡延幸の名義を用いて作成し、郵送したものである。しかし、亡おてうは前記のように弁識能力を欠いていたから、その届出を高重に委託する能力もなかつたのであり、高重は何ら権限を有しないで、その届出をしたのである。また、高重は、その主導的立場からみて、亡おてうの使者ではなかつた。(3) 、右の郵便は、あたかも亡延幸が元気に存命しているかのように仮装され、その封筒ばかなりでなく、内部の依頼書までが亡延幸の名をもつて作成されているのであつて、その郵便自体が有効な郵便物とは認め難いものである。

(三)  本件養子縁組には民法第七九六条の適用がない。すなわち、亡延幸の意識喪失の状態は、同条にいう「その意思を表示することができないとき」に当たらないし、また、同条は、表意不能者に推定的縁組意思が存在することを前提としているところ、亡延幸には、被控訴人らとの間に養子縁組をする意思がなかつたことが明らかであるからである。

二  被控訴人ら代理人の主張

(一)  控訴人ら主張の右(一)の事実は否認する。亡おてうには被控訴人らとの間に養子縁組をする意思があつたのである。

(二)  同じく右(二)の事実は否認する。本件養子縁組の届出は、民法第七九六条によつて、亡おてうがなしたものである。高重は、その立場上亡おてうの意を受けて行為したにすぎない。

(三)  同じく右(三)の主張は争う。亡延幸には被控訴人らとの間に養子縁組をする意思があつたのである。

三  証拠関係<省略>

理由

一  公文書であるから真正に成立したものと推定する甲第一ないし第七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める同第一一号証、その成立の真否については暫く措き、検証物としての同第八号証の一ないし三、第九、第一〇号証(ただし、第八号証の三のうち郵便官署の作成部分、第九、第一〇号証のうち各東京都台東区役所の作成部分はいずれも公文書であるから真正に成立したものと推定する。)及び原審相被告(当審被控訴人として係属したが、後記のように死亡したので、その訴訟関係は終了した。以下証拠関係において「原審被告」という。)眞木おてうの第一回本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、次の事実を認めることができる。

(一)  亡延幸(明治三七年九月一五日生)と亡おてう(明治四二年七月二〇日生)は、昭和八年ころ事実上の婚姻をしたが、その間に実子をもうけることができなかつたので、婚姻の届出も延び延びになり、昭和三〇年三月一九日にようやくその届出をして夫婦となつた。

しかし、亡延幸は、文子(大正一四年三月二六日生)との間に、控訴人安居佳名子(昭和二九年一一月二〇日生)と同安居利枝子(昭和三四年九月九日生)をもうけ、右控訴人らは、昭和四六年一一月五日認知の裁判の確定により亡延幸の子として認知された。

(二)  亡延幸は、慢性腎不全の治療のため、昭和四四年三月五日から、東京慈恵会医科大学附属病院で血液透析療法を受けるようになり、同年一二月二日から同病院に入院するようになつたが、昭和四五年三月二七日一〇三回目の血液透析施行中、突然意識喪失、四肢弛緩麻痺が発現して、脳出血と診断され、同日夜間に一時呼吸停止があつて、気管切開術、腸陰圧呼吸器などで蘇生が図られたものの、その後意識は全く回復せず、同年四月五日午前九時二五分同病院で脳出血により死亡した。

(三)  昭和四五年四月四日付をもつて、「養子になる人」被控訴人眞木茂行、同眞木節子、「養親になる人」亡延幸、亡おてう、「証人」訴外徳生忠常、同渡部恒信の各署名押印のある養子縁組届(甲第九号証)及び「養子になる人」被控訴人恒明、同眞木芳子、「養親になる人」と「証人」は右と同じ者の各署名押印のある養子縁組届(同第一〇号証)が作成され(以下この二通を合わせて「本件縁組届出書」という。)、この本件縁組届出書は、同月三日付の亡延幸作成名義の「養子縁組届提出の件」と題する書面(同第八号証の一)とともに、同日付の同人作成名義の封筒(同第八号証の二、三)に同封されて、同月四日午後六時すぎ下谷郵便局から書留速達郵便をもつて台東区役所戸籍係あてに発送され、同月七日同区役所に甲第二九一七号、第二九一八号として受理されて、各関係者の戸籍に本件養子縁組届出の記載がなされた。

また、被控訴人恒明(大正一四年一月一一日生)と同芳子(昭和三年一〇月一〇日生)は、昭和二七年一一月一二日婚姻した夫婦であり、被控訴人茂行(昭和三年八月二三日生)と同節子(昭和七年一〇月三〇日生)は、昭和三一年二月二八日婚姻した夫婦であつて、右の養子縁組の届出により、いずれも昭和四五年四月七日各夫婦につき新戸籍が編製された。

なお、亡延幸は高重の弟であり、被控訴人恒明と同茂行は高重の長男と三男である。

(四)  亡おてうは、胃潰瘍の治療のため、昭和四五年一月七日から順天堂大学附属病院に入院して治療を受けていたが、同年四月三日、四日の両日は、台東区根岸五丁目六番五号所在の自宅に帰つていた。

そして、亡おてうは、当審においても、被控訴人として、弁護士尾原英臣を訴訟代理人に選任し、訴訟行為を追行していたが、昭和五三年四月二六日文京区で死亡した。

二  次に、本件縁組届出書が作成されて、郵送されるに至つた事情について検討する。

(一)  原審証人眞木高重の証言によると、前記甲第八号証の一ないし三は、高重がその内容を全部記載し、これに本件縁組届出書を同封して、これを被控訴人茂行又は運転手に依頼して郵便局に持つて行かせた事実を認めることができる。

また、原審証人渡辺恒信、同眞木高重、当審証人徳生忠常の各証言及び原審被告おてうの第一回本人尋問の結果によると、前記甲第九、第一〇号証は、亡延幸の署名押印部分を除いて、その余の各人の署名押印部分は、いずれも各人が自分の氏名を自書し、押印したものであり、亡延幸の氏名は、高重がこれを記載し、その押印は、亡おてうがこれをなしたものである事実を認めることができる。右の証人高重は「甲第九号証の亡延幸の氏名は、訴外徳生忠常が記載した。」旨証言しているが、前記甲第八号証の一、三の筆跡及び右の証人徳生の証言並びに原審被告おてうの供述と対比して、その証言は信用できない。そして、右の甲第八号証の一、三の筆跡、証人高重、同徳生の各証言によると、甲第九、第一〇号証のうち「養子になる人」、「養親になる人」の各欄の「届出人署名押印」部分以外の部分は、高重がその大部分を記載した事実を認めることができる。なお、亡おてうは、右の原審第一回本人尋問において、「甲第九、第一〇号証の作成について記憶がない。」旨供述しているが、その供述は右の証人高重の証言と対比して信用できない。

(二)  右のようにして作成された甲第八号証の一ないし三、第九、第一〇号証、原審証人渡辺要、同渡部恒信、同眞木高重、当審証人徳生忠常の各証言及び原審被告おてうの第一、第二回本人尋問の結果(ただし、右おてうの各供述のうち次の認定に反する部分は他の証拠と対比して信用できないので、これを除く。)によると、次の事実を認めることができる。

(1)  亡延幸は、愛媛県今治市(当時越智郡日吉村)で生まれ、早くから上京して、戦前は家具の卸売商を、戦後は家具の小売商を営んでいたが、亡おてうとの間に実子がなかつたことから、被控訴人恒明と同茂行を手許に引き取り、両名に事業の手助けをさせていた。被控訴人恒明は、昭和一八、九年ころ今治市から上京して亡延幸方に寄寓し、大学を卒業したが、在学中から亡延幸の死亡時まで、同人の経営する事業に従事していた。また、被控訴人茂行は、昭和二一年ころ亡延幸から勧められて同じように上京し、同人方に住み込んで、同人の事業を手伝うようになつたが、亡延幸は、そのとき兄の高重に「一人だけ家にくれんか。」などと申し入れた。

被控訴人恒明は東京都で結婚式を挙げ、被控訴人茂行は松山市で結婚式を挙げたが、その費用はいずれも亡延幸が支払つた。亡延幸はいくつかの会社を経営していたが、右の両名を各会社の取締役などに選任し、両名に重要な職責を与えていた。また、亡延幸は、昭和四一年ころ今治市の高重方で、同人に「籍も入れなければ。」などと話した。

(2)  高重は、昭和四五年三月二八日亡延幸の危篤の知らせを受けて上京し、同人を見舞つたが、同年四月二日順天堂大学附属病院に入院中の亡おてうを見舞い、同人に「養子の問題はどうなつているか。」と尋ねたところ、同人から「明日その相談をする。」と言われた。

四月三日前記台東区根岸五丁目の亡延幸方に、亡おてう、高重、被控訴人恒明、訴外渡部恒信、同徳生忠常が集まつて、養子縁組の件について話し合つた。そのころには既に同人らの間では亡延幸に控訴人らがあることが分かつていたので、亡延幸の相続人はどうなるのかとか、相続税の負担をどうするのかということが話題となつた。話の進んだところで、高重が訴外渡辺要弁護士を呼び、養子縁組届の件について法律相談をした。渡辺弁護士には、主として高重が事情を説明したが、亡おてうも、「よろしく頼みます。」と挨拶し、高重の説明に相づちを打つていた。既に養子縁組届の用紙が準備されていたが、その届出書を作成するに至らなかつた。

四月四日同じ亡延幸方に、亡おてう、高重、被控訴人恒明、同茂行、渡部、徳生が集まつて、被控訴人らを亡延幸らの養子にすることに話をまとめ、再び渡辺弁護士をその場に呼んで法律問題の当否を確かめ、更に、被控訴人芳子、同節子がその場に呼ばれて、亡延幸と亡おてうが養親になり、被控訴人らが養子になるという養子縁組をすることの合意が成立した。そして、同日同じ場所で、本件縁組届出書が作成された。

(3)  渡辺弁護士は、同日夕方亡おてうの許を辞したが、届出書の提出は郵送する方法でもできることに気付き、その旨を電話で高重に知らせた。そこで、高重は、本件縁組届出書の届出人は、亡延幸に関するものであるから同人であると考え、同人作成名義の添書(甲第八号証の一)を作成して、本件縁組届出書とともに郵送する手続をした。本件縁組届出書の届出について、亡おてうは、これを高重に任せていた。

(三)  ところで、当審証人兼法定代理人安居文子の証言兼法定代理人尋問の結果(以下「証人文子の証言」という。)によると、亡延幸は、昭和二六年ころから文子と情交関係を持ち、同人との間に控訴人らをもうけて、控訴人らに深い愛情を示していた事実を認めることができるけれども、その事実は前記(二)の事実を認定するのに妨げとなるものではないし、証人文子の証言のうち、「亡延幸は、高重の子らを養子にしないと言つていた。」旨の証言部分は、前記(二)の冒頭に掲げた各証拠と対比して信用しない。

また、原審被告おてうの第二回本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、亡おてうは、昭和五〇年一一月二五日被控訴人恒明及び同芳子と離縁した事実を認めることができるけれども、それは、右の本人尋問の結果によると、時日が経過するうちに、亡おてうと被控訴人恒明、同茂行との間に、会社の経営方針について見解の相違が生じ、それが高じて感情的なものにまでなつたことによるものであることを認めることができるので、右の離縁の事実も前記(二)の事実の認定を妨げる事由にならない。

(四)  かえつて、原審証人眞木高重の証言によつて真正に成立したものと認める乙第一、第二号証、当審証人文子の証言と原審被告おてうの第二回本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める同第三号証、右の証人両名の各証言及び本人尋問の結果によると、亡延幸が死亡するや、亡おてうが喪主として、被控訴人恒明、同茂行が嗣子として、その葬儀並びに告別式を挙行し、昭和四七年二月二七日には、亡おてう、被控訴人ら及び控訴人らが、亡延幸の相続人として、同人の遺産分割の協議をなし、その協議を成立させた事実を認めることができる。

三  そこで、前記一及び二で認定した事実に基づき、本件養子縁組の効力について判断する。

(一)  養子縁組は届出によつて成立すると解されているところ、昭和四五年四月四日から死亡時までの間において、亡延幸にはその意思を表示することのできる能力がなかつたのであるし、本件縁組届出書の「届出人署名押印」欄の同人の署名押印も同人の意思に基づいて記載顕出されたものではないのであつて、これらは、すべて同人の妻の亡おてうが夫の亡延幸の名義を使用してなしたものとみることができる。すなわち、本件養子縁組は民法第七九六条に基づいてなされたものであるといえる。

ところで、戸籍法第六七条には、「配偶者の一方が双方の名義で縁組をする場合には、届書にその事由を記載しなければならない。」と規定されており、本件縁組届出書にはその事由の記載がなく、その届出は双方の名義でなされているけれども、そうだからといつて、民法第七九六条の適用が排除されるものでもない。

(二)  民法七九六条の本来の趣旨は、表意不能者に推定的縁組意思の存在する場合を予想し、原則である夫婦共同縁組の共同性を補強することにあつたというのであるが、亡延幸には、被控訴人恒明及び同茂行との間に、ひいてはその各配偶者である被控訴人芳子及び同節子との間に、縁組をする意思があつたものと推認することができるし、また、亡延幸は、三月二七日から意識喪失に陥り、意識が回復しないまま、四月五日死亡したのであつて、同人の精神障害が一時的なものにすぎなかつたものとみるのは相当でなく、同人は同条にいう「その意思を表示することができない」者に当たるものであつたということができるから、本件養子縁組については、同条が適用される要件が備わつていた。

(三)  亡おてうには、被控訴人らとの間に養子縁組をする意思があつたといえるし、また、夫の亡延幸を代表(又は代理)し、同人の名義を使用して被控訴人らとの間に養子縁組をする意思もあつたといえる。

控訴人らは、亡おてうは、肉体的な衰弱、自分と亡延幸の病状に対する心労などのため錯乱状態にあつて、是非を判断する能力を欠いていたと主張し、原審被告おてうの第一、第二回本人尋問の結果のうちには右の主張事実に符合する部分があるけれども、右の各供述部分は原審証人渡辺要、当審証人徳生忠常の各証言と対比していずれも信用することができず、他に右の主張事実を認めるに足りる証拠はない。また、控訴人らは、亡おてうは、亡延幸の多大な財産が控訴人らに相続されることになるのを妨害するため、被控訴人らと通謀して養子縁組を仮装したものにすぎないと主張するところ、前記のように、亡おてうと被控訴人らは、当時既に亡延幸に控訴人らの子があることを知つていて、その相続問題が話題になつた事実を認めることができるけれども、更に進んで、亡おてうが控訴人らの相続を妨害する意図をもつて被控訴人らとの養子縁組を仮装したとの点については、当審証人徳生忠常の証言及び原審被告おてうの第一、第二回本人尋問の結果によつてもこれを認めるには足りず、他に右の点を認めるに足りる証拠はない。してみれば、控訴人らの右の主張はいずれも理由がないから採用しない。

(四)  戸籍法第四七条第一項には、「屈出人の生存中に郵送した届書は、その死亡後であつても、市町村長は、これを受理しなければならない。」と規定されているところ、本件縁組届出書の受理の状況をみると、本件縁組届出書は、亡延幸作成名義の封筒に、同人作成名義の添書とともに同封されて郵送されたものであるので、その届出人には亡延幸も含まれるとされ、しかも、同人は生存者として取り扱われて、その届出が受理されたものであり、亡延幸の死亡の事実が届出受理後に判明したものであることは、前記甲第一号証(筆頭者亡延幸の戸籍謄本)の記載の方法、順序並びに戸籍実務の取り扱い例からみて明らかである。

しかしながら、本件の場合、亡おてうには、夫の亡延幸を代表(又は代理)して、本件縁組届出書を郵送し、その届出をしようとする意思があつたものとみることができ、これを高重に任せたのであるが、高重は、法的知識がなかつたことから、その添書、封筒に亡延幸の名義を使用したにすぎないものとみることができるので、亡おてうがその発送をしたものとみるのに妨げとなるものはない。したがつて、これに反する控訴人らの主張は理由がないからこれを採用しない。もつとも、本件養子縁組の届出人は、亡おてう及び被控訴人らなのであつて、右の添書封筒の差出人が届出人となるわけではないから、差出人として亡延幸の名義が使用されたものとはいえ、本件縁組届出書自体が郵送され、受理されている限り、右の届出人らによる届出行為があつたものといえるのである。

また、本件縁組届出書は、亡延幸の生存中に発送されたのであるが、同人の死亡後に台東区役所に到達し、受理されたものであるところ、同人は、その届出書の届出人ではないのであるから、前記第四七条第一項が直接適用されるものとはいえない。しかし、亡延幸は、本件養子縁組について当事者の一人(養親)となり、その届出に当たつても事件本人となるのであるから、その届出人には当たらないとしても、同条同項が類推適用されるものと解し、事件本人としての同人が生存中に発送された本件縁組届出書による届出が受理されるに至つたのであるから、その効力は、事件本人としての同人にも及ぶものと解するのが相当である。したがつて、同条第二項も類推適用されるものと解するのが相当であつて、亡延幸については、同人の死亡の時に届出があつたものとみなされることになる、ということができる。

(五)  そうすると、本件縁組届出書の郵送によつてなされた本件養子縁組は有効に成立したものということができる。

なお、控訴人らと亡おてうとの間の訴訟関係は、既に説示したように、亡おてうの死亡によつて当然に終了したものとみるべきものである。

四  したがつて、本件養子縁組が無効であることの確認を求める控訴人らの本訴請求はいずれも理由がなく、これを棄却するべきものであつて、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条本文を適用して、主文のとおり判決する。なお、原判決当事者の表示中には明白な誤りがあるので主文第三項のとおり更正する。

(裁判官 岡本元夫 長久保武 加藤一隆)

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